死を意識する:死のシミュレーション

「死」に寄りそったことはありますか?
亡くなりそうな方のそばで寄りそうということではありません。

自分の「死」を触れられるほどリアルに感じたり、
意識的に想像してみてりしたことがありますか?


あなたの「死」は確実にすぐにやってきます。

このサイトでは「うつ」をテーマにしそこから
脱出する色々な方法や考え方を提案していますが、
そのベースに「死」に向き合う姿勢が時々顔を出します。


この記事では「死」から目をそらすのではなく、
それに向き合ういくつかのアプローチについて、書いてみました。

なぜ「死」を意識するのか?

なぜここで「死」を意識することを勧めるのか?疑問に思う人も多いでしょう。

「人生で最高の生き方」という映画を観たことがあるでしょうか?

入院病棟で同室になった、自分勝手な金持ちと、
まじめな自動車整備工が、末期ガンで二人ともあと半年の命だと宣告されてしまいます。


半年後の「死」を突きつけられた二人は、
リストに書き出した「人生でやり残してきたこと」(バケットリスト)を
死ぬ前に実行するために、病院を抜け出して
冒険の旅に出ていくというストーリーです。

この映画が多くの人の心を揺さぶるのは重要なポイントがいくつかあります。

  • 「死」は誰にでも不意に訪れる可能性があるのに
    普段はそれにフタをして毎日の暮らしに明け暮れていること
  • 「死」を目前にして初めて、本当の自分に向き合い、行動し始めること
  • 行き先が「死」であるからこそ、今この瞬間を生きている事を大切にして、
    最大限に味わい、楽しみ、意義深いものすることができるということ

これらの点が、人として生まれてきた者にとっては誰にとっても真実であり、
共感を呼ぶのでしょう。


「死」を直近に迫った出来事として意識することによって、
今ここを生きることの意義を見出せるのです。

いつ死んでも満足な生き方

「人生で最高の生き方」の主人公たちの命はあと6ヶ月でした。

実際のところ、人は誰でも、いつ死ぬか分からないもろい存在です。


どの人も、死ぬのが6ヶ月後どころか、1ヶ月後か1週間後か、
あるいは明日かも知れないのです。

この映画の主人公たちが、死が目前に迫っていて
やりたいことをやりつくすように、今しかないこの瞬間瞬間に、
最高の生き方をしたいものです。


どの瞬間も過去に後悔のない、未来に未練のない生き方をしたいものです。


今この瞬間ここを生きる生き方と言っても良いでしょう。

いつ死んでも満足な生き方は、死をしっかり意識しながら、
死を前提とし、死を、近い将来必ずたどり着く
「行き先」として生きる生き方でもあります。


死が避けがたい運命として必ずたどりつく「行き先」であるからこそ、
避けがたい「死」に向かう旅であるからこそ、
そしてそれを十分に意識するからこそ、

今この瞬間の人生を、最大限に、味わい、楽しみ、
意義深いものすることができるとも言えます。

死のシミュレーション

日常生活に明け暮れていると
「死」を意識ながらいつ死んでも満足な生き方を送ろうと
唱えても現実味がありません。


そこで、死をシミュレーション(疑似体験)することに、大きな意味があります。

「死」には人生にとって大きな意味があるのに、
生きている間に「死」を体験することはできません。


肉親や知人やペットの死に出会い、
自分の人生に大きな意味を投げかけてくれることもありますが、
意図して経験できるものではありません。

それに、それは自分の死ではありません。

ここでは、死をシミュレーション(疑似体験)をするのに、
瞑想を毎日の習慣にすることをお勧めしています。


瞑想については別の記事でも書きましたが、
この記事では「死のシミュレーション」に焦点を当てます。

瞑想による死のイメージ

死のシミュレーションをするのにおススメしたいのが、瞑想です。

深い瞑想状態に入って「死」をイメージするのです。


「死」というよりも「自分を無にする」といった方がより近いかもしれません。


そこでは肉体を無くす体験と精神や心を無くす体験ができます。


肉体と精神が無くなった状態が「死」ですが、
その状態を疑似的に感じるのに深い瞑想に入るのが一番です。


《肉体の溶解や蒸発・霧散を体験する》

  • 肉体がバターのように溶けだして、骨だけが残されるイメージを頭の中で描きましょう。、
  • あるいは、溶解し分解して蒸発した肉体の分子が
    空中に舞い上がって、霧のように消えていくイメージを描きましょう。
  • そして世界や宇宙に溶け込んで一体になっていく感覚を全身で感じてみましょう。
  • 瞑想状態に入りボディスキャンをていねい行いながらだと、
    これらのイメージをリアルに描くことができます。
  • そして、そこで感じる感覚に意識を集中すればするほど、
    日常的な感覚が薄らいで霧散してそこから離れていく感じがします。
  • 苦痛や快感を湧き起こしている土台である肉体が分解して
    霧のように消えてしてしまった感覚です。

《自我や自分の精神・心が無くなる感覚を体験する》

  • 忘我・「無我」の境地に入ります。
  • 肉体が無くなった感覚や分解して霧のようになった肉体の分子が
    世界や宇宙に溶け込んでしまった感覚が得られたら、
    自分の精神世界と周りの世界との区別がつかなくなる感覚が得られるでしょう。
  • 悲しみや怒りや喜びや楽しさを湧き起す土台になっている
    精神や思考を司る回路があるの無いのか分からないような感覚が得られるでしょう。
  • 精神や思考が薄らいで、苦痛も快感も、不安も安心も、
    不幸も幸福も無くなる感じになるでしょう。

「死」に寄りそい「死」から離れる

このような肉体や精神・心が無くなるという瞑想による
「死のシミュレーション」が、他から与えられているのではなく、
自分で引き起こした体験であるという点は重要です。


また、本当の「死」は一度体験すると二度と後戻りできませんが、
瞑想による「死のシミュレーション」状態からは、
いつでも自分の意思で「現実」に戻れると言う点も重要です。


この自己コントロール感が自己効力感や自己肯定感や自尊感につながり、
この経験が深い満足を残すものです。

「死」をより身近なものにしながら、
「死」と対局にいる自分のいま生きている瞬間を味わいましょう。

 

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